なぜ僕はアイドルオタクになってしまったのかの考察

こんにちは、どんぺりーです。急に寒くなりましたね。

今日も何もやる気が起きないのでブログを書きます。テーマはタイトルの通りです。

 

5月か6月頃、本垢(@donpereal)で「俺がドルオタになったんじゃない、社会が俺をドルオタにしたんだ」みたいなツイートをしたかと思います。

 

 

 

してましたね。

では本当に僕は社会によってドルオタにさせられてしまったのでしょうか。今一度、自分の発言に問いを投げかけることで、この議論を白熱させたいと思います。どうでもいい議論ですが。

 

第1章 ドルオタになるまで

 

1、幼少期のどんぺりーくん

正直言って全然記憶にないんですが、物心のつく前からぼくには熱中しているものがありました。モーニング娘。とミニモニです。この頃からドルオタやったんや!じゃあ考察する意味ないやんけ!終わり!解散!

 

2、幼少期のどんぺりーくん(第2部)

はい、もう一回集合してください。記憶にない部分はノーカンにさせて(懇願)。まああとこれはどうでもいい話なんですが、ぼく本名に「た」がつくので小さい頃親から「おた」って呼ばれたりしてたんですね。そりゃオタにもなるわ。

幼少期のぼくは記憶にない部分は置いといて、本当に普通の男の子でした。大きくなったらウルトラマンコスモスになりたかった。

 

3、小学生のどんぺりーくん

小学生の時、ぼくのオタクの芽が発芽し始めます。小学校1年生で太鼓の達人を始め、小学校2年生でポケダン赤・青の救助隊、3年生でポケモンダイヤモンドパール、4年生でポケダン時・闇の探検隊、Wii発売、6年生でポケモンHGSS発売…

そうです、小学生にしてぼくはクラスに一人はいた「やたらポケモンに詳しいやつ」「やたらゲームに詳しいやつ」「音ゲーマー」の称号を手にすることとなったのです。

 

ですが小学校4年生の時、もう一つの芽が出始めます。ある日ミュージックステーションを見ていると、ジャニーズの新グループが出演していました。メンバー全員が平成生まれ・2007年に結成されたことにちなんで「Hey! Say! 7」。山田涼介・知念侑李・中島裕翔・有岡大貴・高木雄介で構成された5人組です。この時は「またなんかできたんか」程度にしか思っていませんでしたが。

その少しあと、新たに5人のメンバーを加え「Hey! Say! JUMP」というグループが結成されました。またミュージックステーションで見ていたんですが、デビュー曲「Ultra Music Power」をポケモン片手に聞いていると何か妙に一人、声の高い奴がいるんですね。ぼくはテレビに釘付けになっていました。「この人、声変わりしてない、まるで自分と同じ子供みたいなやつなのにかっけえ…」って思ったんですね。その時からぼくの知念侑李推しが始まりました。

しかし時の流れというものは残酷で4枚目のシングル「真夜中のシャドーボーイ」を出す頃には知念侑李の声が変わり始めます。「これは俺の知っている知念侑李じゃない」と思ってそれ以来チェックするのをやめてしまいました。そうしてまたぼくはただのゲーム少年の道を歩んでいったわけです。

 

4、中学生のどんぺりーくん

中学生になってもポケモン太鼓の達人と部活に明け暮れる日々。アイドルなんて興味ねえ!みたいな人間でした。その頃、同級生から「けいおん!!」ってアニメが面白いから見てみろと言われ実際に見たり、初音ミクの存在を聞かされたり、オタクへの道はしっかり歩んでいたわけでありますが。そのオタ活の一環として、当時テレビ東京で18時台にやっていたアニメ(ソウルイーター再放送、神のみ再放送等々)を見ていたのですが、その際にある番組を「目当ての番組が始まるまでの暇つぶし」に見ていました。そう、「週刊AKB」です。

週刊AKBAKB48の中心メンバーから無名メンバーまでが揃う番組で、中学生という最も記憶力の冴える時期にそれを見ていたぼくは片っ端からメンバーの名前を覚えていきます。そして音楽番組にでたらそれもチェックし…としていたらAKBオタクと化したどんぺりーくんがそこにいました。その頃のAKBは全盛期といっても過言でなく、アルバム「神曲たち」(言い訳Maybeとか大声ダイヤモンドとかが収録されています)、シングル「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテーション」「Beginner」などが世に送り出されCDチャートで猛威を振るっていました。上手いこと乗せられてしまったわけですね。

おそらくぼくのドルオタとしての原点はここにあると勝手に思っています。ただこのころはまだ、CDを何枚も買うオタクや、タイガーファイヤーなど叫びまくっているオタクの人たちの映像を見たりして引いていた純粋な少年であったことも事実です。

(どうでもいいんですがぼくの推し柏木由紀でした。)

 

5、高校生のぼく

高校に入り、よりゲーム・ニコニコの方面へ侵食していった結果、AKBのことはほとんど忘れてしまっていました。曲もわからん、新顔もわからん、しかも前田も大島も篠田も板野もいなくなった。まあ仕方のないことです。

高校生時代はほとんどアイドルに触れることはありませんでした。あえていうならRev.from DVLのリリイベに橋本環奈見たさに行ったくらい。

ですが高校卒業直前に革命が起こります。2016年2月3日、某私立大学の入試2日前にいつものゲーセンに行き(受験期にゲーセンに行っていることに触れてはいけない)、知り合いがやっていたグルーヴコースターをやってみることにしました。「すっごーい」「たーのしー」とプレイしていたわけですが、収録曲を見ているとある曲が目にとまりました。

 

「でんでんぱっしょん」

 

全ての始まりでした。でんぱ組.incについては「最上もが」「夢眠ねむ」は知ってる、でんでんぱっしょん、サクラあっぱれーしょんはちらっとだけ見たことある(ZIPとかで流れてた程度)くらいで、まあほとんど無知でした。しかしそこでたまたま選曲したでんでんぱっしょんがやたら耳に残るわけです。その日のうちにLINE MUSICででんぱ組.incの曲をかき集め受験直前期にひたすら聞いていました。

 

6、大学生になって〜初現場〜

まあ2日前にゲーセンに行ったせいか某私立大学には落ちたものの、なんとか第一志望には受かって大学生になりました。受験直前期のクッソ辛い時期にイヤホンから流れてくるでんでんぱっしょん等、でんぱ組.incの楽曲に助けられたぼくは「彼女たちに感謝を伝えなければならない」という謎の使命感に駆られ、何としてもでんぱ組.incのイベントに行くぞと意気込んだわけであります。

そうして5月のGOGO DEMPAのリリイベで現場に初参戦し、推し・相沢さんにサインをいただくなどしたわけです。

 

7、2017年になって〜在宅から現場へ〜

とはいえ音ゲーやらポケモンやらで忙しかったぼくは在宅を決めていました。陰キャなので。そんなこんなで初現場から5ヶ月が過ぎようとしていた時、ある情報が飛び込んで来ます。「でんぱ組.incアリーナツアー幕張と神戸で敢行」、行くしかないと思いました。気が付いたらチケット応募してました。当たりました。行きました。物販でウン万飛ばしました。

この時気付いたんです。アイドルは生のライブを見てこそ一番楽しい。

一回ライブに行ってしまえばもう怖いものは何もなくなりそこからディアステージウィーク、名古屋バンもんシークレット、ブクガ心斎橋ワンマン、バンもんツアー、TIF、atMEワンマン・対バン・定期、BiSギャンパレツーマンと多くの現場に足を運ぶことになったのであります。

 

第2章 本当に「社会にドルオタにされた」のか?

 

 

 

これは未だに一理あると思っています。実際現場を求めるのは「楽しさ」=「幸福感」を求めるわけですし、接触で認知を求めるのも承認欲求の発現なので。

でもそれだけではなくて、やっぱり「好き」があるんだと最近は思っています。もともと音楽が好きだったのに加え、沸く楽しさ、かわいい推し、オタクの皆様との交流、ステージ上で輝くアイドルたちとの接触、かわいい推し、「現場にいた証」として残るチェキ、かわいい推し、かわいい推し

 

結論、

「ぼくはなるべくしてドルオタになった」

 

以上、解散。